プライドの正しい持ち方
プライドというのはファジーな言葉だと感じます。
時には奮い立たせ、時には邪魔する時がある。
村上龍はこう言ってます。
『絶望した時に発狂から救ってくれるのは、友人でもカウンセラーでもなく、プライドである。』
自分が絶望の中にいた時に救ったのは、このプライドでした。
今の事業に誇りを持っていたし、
諦めるわけにはいかない、このままでは終われない、やるしかないと自分に言い聞かせました。
心の奥底にあるプライドは普段表面に出るものではありません。
しかし、これが表面的にあると非常に邪魔なものになります。
そしてその表面にあるプライドは人にバレてしまうんですね。
所謂プライドが高いと思われる人です。
自分のイメージとは違う泥臭いことや人から蔑視されるようなことができなくなるのです。
これでは前に進めていくことでの弊害になります。
言い換えれば、この表面的なプライドは「恐怖」に近いものであると言えます。
怖いからできない、決められない
こうなってしまっては成長は止まり、
ましてやリーダーをやる資格なんてありません。
つまりプライドは普段持たないことが正しいのだと思います。
それでも知らず知らずと蓄積されていくものなので、
意識して捨てるぐらいのレベルでいいのではないでしょうか。
発狂しそうな程の絶望の時に、また現れ救ってくれるはずですから。